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2026年2月13日 (金曜日)
【コース】
大宰府政庁跡駐車場 (8:45) ~ 坂本八幡宮 (9:00) ~ 「水城跡・国分寺跡」標識 (9:10) ~ 「大野城大石垣」標識 (9:15) ~ 東谷口川砂防堤ダム (9:20) ~ 「大原山」標識 (9:25) ~ 東谷川上流、進行不能 (9:45) ~ (戻り)~ ガードレールの道 から山へ (10:00) ~ 本来の登山道を見つける (10:05) ~ 鉄塔 (10:15) ~ 「毘沙門天・焼米ヶ原」標識 (10:45) ~ 創造の森展望台 (10:50) ~ 二十六番札所 (11:15) ~ 毘沙門堂 (11:25) ~ 大城山 (11:30) ~ 野外音楽堂 (11:45) ~ クロガネ岩城門跡 (11:55) ~ 百間石垣 (12:05) ~ 小石垣 (12:45) ~ 大原山 (13:15) ~ 焼米ヶ原展望所 (13:50) ~ 岩屋山・岩屋城跡 (14:10) ~ 太宰府市民の森 (14:45) ~ 大宰府政庁跡駐車場 (15:15)
 

 
 
(1)焼米ヶ原からの眺望

早朝、大宰府政庁跡の駐車場に着くと、入口に一台の車が停まっていた。よく見ると、入口は鎖で閉ざされている。
「またか」と、先日の油山のことが頭をよぎる。
車を降りて看板を確認すると、開門は8時30分からと書かれていた。まだ1時間半もある。さてどうしたものかと考えた末、四王寺山を通る林道をドライブすることにした。
車を走らせてその場を離れると、さっき停まっていた車が出ていき、代わりにまた一台の車が入ってきた。知らずに来る人は意外と多いのだと、妙な親近感を覚えた。
最初に着いた焼米ヶ原には駐車場があった。ひとまず景色だけ眺めようと外に出る。草の上には白い霜が降りていて、冷気が肌にしみる。車に戻ってエンジンをかけると、ディスプレイには気温1度と表示されていた。

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(2)大宰府政庁跡駐車場

駐車場に着くと、開いたばかりだというのに、すでに半分ほどが車で埋まっていた。
見学者なのか登山者なのか一瞬気になったが、人のことを気にしている余裕はない。こちらは出足から遅れているのだ。
素早く靴を履き替え、必要な準備を整えると、そのまま足早に歩き出した。
 


 
(3)大宰府政庁跡

政庁前に立つと、この場所から登山を始められることに、言いようのない喜びがこみ上げてきた。
目指すは後ろにそびえる四王寺山。
遺跡や万葉の歌碑を見ながら政庁跡をじっくりと見て回りたい。
今日は四王寺山をぐるりと一周し、再びここへ戻ってくる予定だ。
低山でもあり気軽なハイキング気分だ。

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(4)正殿に立つ三つの石碑

甲子園球場の6.4倍とも言われるこの大宰府政庁跡も、明治時代までは長い年月のうちに標石や礎石、瓦までもが持ち去られ、ここが遺跡だと気づく人はほとんどいなかったらしい。
中央に立つ三つの石碑は、大宰府跡の存在を広く世に知らせるために建てられたものだという。
しかし石碑が立った後も、日本列島改造計画の波に押され、遺跡を保存するのか、近代化のために土地開発を進めるのか・・・、その是非をめぐって連日報道が続いた時期もあった。
当時、すべての人が保存を歓迎したわけではないだろう。
それでも今、こうして古代のロマンを感じられる場所として残されている。
 


 
(5)紅梅の花

大宰府政庁跡を抜けたところで、遠目にも鮮やかな紅梅が目に入った。
近づくと梅の香りが心地よく鼻をつく。
辺りには散策を楽しむ人の姿も見える。

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坂本八幡宮

令和の碑

大伴旅人 歌碑
(6)坂本八幡宮

坂本八幡宮は「令和」ゆかりの地として一躍注目を集めた場所だ。
令和の典拠となった万葉集の歌は、大伴旅人の邸宅で開かれた歌会のものとされ、その舞台が坂本八幡宮だと大きく話題になった。
現在では、坂本八幡宮のほかに、政庁東側や政庁南側など、三つの候補地が大伴旅人の邸宅跡と考えられている。
いずれにしても、この一帯で歌会が開かれたことは間違いないのだろう。
私としては、それだけで十分にいにしえの情景を思い描くことができる。
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【参考】
『万葉集第5巻、梅花の宴 32首 序文』

・初春の令月にして気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す

(しょしゅんのれいげつにしてききよく、かぜやわらぎ、うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのかをかおらす)

(初春のよい月に、空気が清らかで風が穏やかであり、梅は鏡の前の白粉のように白く咲き、蘭は身に着けた香りのように香っている)
 


 
(7)四王寺山への標識

坂本八幡宮を出て道なりに進むと、やがて三叉路に差しかかった。
そこには「四王寺山山頂 2.2km」と書かれた標識が立っていた。

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(8)水城・国分寺、大野城跡への標識

家屋の並びを抜けると、道は田んぼの間へと続いていた。
田の脇にはイノシシ除けの柵が設けられていて、山村らしい風景となる。
田んぼ道を少し登っていくと、左手に立派な標識が現れた。
ところが、ここで私は不覚にも道を間違えてしまった。
このあたりは迷いやすい場所があると本で読んでいて、念のためスマホでそのページを撮ってきたのに、確認もせず、何の疑いもなく真っすぐ進んでしまったのだ。
 


 
(9)九州自然歩道、大野城跡(大石垣)の標識

正面には駐車場のような広場があり、鎖が張られて通れなくなっていた。
その左側には標識が立ち、奥へと続く道が伸びている。
標識には「九州自然歩道 大野城跡(大石垣)」と書かれ、矢印が奥を指していた。
ただ、四王寺山全体が大野城跡であり、石垣もあちこちに点在している。方角を思い描いてみたものの、判断材料には乏しい。
他に道は見当たらず、スマホに撮ってきた本のページを確認することもなく、私はそのまま左の道へと入ってしまった。


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(10)東谷口池

道に入ってしばらく進むと、ガードレールが続くカーブに差しかかり、「坂本砂防壇堤」と書かれた看板のある池へと出た。
壇堤の上では白い梅が咲き乱れ、朝の光を受けて淡く輝いている。手前には緑の笹の葉がくっきりと浮かび上がり、色の対比がいっそう美しかった。
まるで春が訪れたかのような景色に浸りながら、私はのんびりと歩みを進めていった。
 


 
(11)大原山の標識

大原山へ向かう標識が立っていたが、今日は四王寺山の最高峰である大城山に行き、そこから大原山へと周回する予定だ。
大原山は帰り道に通ることになるので、ここでは迷わず直進した。

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(12)九州自然歩道の標識と地図

標識の地図を見ると、右へ続く道は焼米ヶ原や大原山の方向で、やはり周回ルートの戻り道にあたるようだ。
となれば、ここでも進むべき道はひとつ。迷う余地もなく、直進するしかなかった。
 


 
(13)有害鳥獣駆除の張り紙

道を進んでいくと、イノシシ用の罠が設置されており、「危険ですので近寄らないでください」と書かれた張り紙が目に入った。
「ここ、登山道だろうか?」と少し不安になるが、道があるので先へ進むことにした。

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(14)斜面

広かった道はそこで途切れ、山の斜面にかろうじて“道らしきもの”が続いているのが見えた。
見ようによっては階段のようにも見える。
「うん、これは道だ」
そう自分に言い聞かせながら、さらに先へと足を進めた。
 


 
(15)谷川の先は・・・

山の斜面は次第に急になり、とても通れそうにない傾斜へと変わっていった。
仕方なく谷川へ下りて歩いてきたものの、どう考えてもこの先に道が続いている気配はない。
(いや、そもそも今いる場所だって道ではない……)
ようやく観念し、引き返すことにした。
戻りながら、往生際の悪い自分に少しうんざりしていた。

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(16)
(16)戻り道の途中から山に入る

戻りながら、どこで道を間違えたのかを考えた。
「予定していたルートは、まず土塁に上がり、そこから時計回りに大城山へ向かう道だ。土塁への取りつきはもっと下にあったはずだ。とはいえ、完全に戻るのはもったいない。この位置より西側に道があるはず……だとすれば、上に続く山道だろう!」
半ば冒険気分になりながら、坂本砂防壇堤を過ぎて下り道になったところで、思い切って山の中へと入っていった。
 


 
(17)道らしきものがあった!

道とも溝ともつかない窪地が、先のほうへ細く続いていた。
まだ安心はできないものの、尾根筋をたどっているようなので、方向だけは間違っていない気がする。
歩き進むうちに、右手下の木々の奥に、さきほど自分が歩いてきた道がちらりと見え隠れし、やがてその道は深い谷の藪へと姿を変えていった。
「もう、この道で間違いない」

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(18)
(18)土塁上、周回コース

土塁上に着いた。
右へ行けば焼米ヶ原、左へ行けば毘沙門堂。毘沙門堂は大城山のすぐそばにある。

ここで初めて年配の登山者と会った。
どうやら私の姿を後ろから見つけていたらしく、「やっと追いついた!」と笑いながら声をかけてくれた。
私が道に迷って谷へ下りてしまったことを話すと、「ずっと下にあった標識で間違えたんだろう」と教えてくれた。
別れを告げて少し歩き、ふと振り返ると、もうその姿は見えなかった。
前歯のかけた柔らかな笑顔だけが妙に印象に残った。
 


 
(19)創造の森展望台

名前にひかれて登ってみたものの、残念ながら眺望はなかった。
少し離れた場所に見晴らしのきく地点があったが、見えるのは山並みばかりで、その先は霞んでいた。
 


 

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(20)第28番札所 聖観音

高い位置に第28番札所があり、その前には見晴らし台が設けられていた。
そこからの眺望はよかったが、今日は霞が濃く視界がぼやけていた。

札所は、大野城跡の土塁線を中心に点在しており、全部で33体の石仏が祀られている。
これらの石仏は、寛政12年(1800年)に四王寺の僧と博多の人々が発起人となり、西国三十三所霊場の「霊土」を集めて建立したものだという。
 


 
(21)水城口城門跡

四王寺山は、馬蹄形に連なる峰や谷を巧みに利用し、全長約8kmにわたる防衛ラインを築いていた山城だ。
その中で、これまでに9ヶ所の城門跡が確認されている。
ここは、そのうちの一つで、水城跡の東門とつながる「水城口城門跡」と呼ばれている場所だ。

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(22)第26番札所 千手観音

ここからの眺望はとてもよく、ベンチも置かれていて、ちょっとした休憩所として利用されている。
 


 
(23)毘沙門堂

ここは広場になっていて、大野城跡西側の見どころを紹介する看板などが設置されている。
周囲は木々がうっそうと茂り、どこか霊気が宿っていそうな雰囲気さえ漂っていた。

この毘沙門堂では、毎年1月3日に「四王寺毘沙門詣り」が行われ、多くの人で賑わうという。
その由来や歴史についての詳しい説明板も、ここに立てられている。



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(24)大城山

毘沙門堂から歩いてわずか1〜2分で、大城山の山頂に着く。
ここは木々に覆われていて、残念ながら眺望はない。
 


 
(25)音楽堂に向かう下り坂

土塁の上を歩いてきたが、ここから先は一気に下り坂になっていた。
そのときようやく、当初思い描いていた“土塁の上をぐるりと巡る気楽な周回コース”では済まなさそうだと気づき始めた。

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大城林道

野外音楽堂
(26)野外音楽堂

下っていく途中、登ってくる登山者と話す機会があった。
私が土塁を一周している最中だと伝えると、少し驚いた様子で、山の地図を一枚手渡してくれた。
地元の人らしく、複数のコースを歩き分け、地図には色分けした印が丁寧につけられている。
その様子から、遠まわしに「一周はなかなか大変ですよ」と伝えてくれているようにも感じた。
やがて、大城林道に出た。
この林道は車も通る道で、朝、私もここを通っている。
道を渡ると野外音楽堂があり、広々としていて気持ちがよい。
ベンチも置かれ、登山者たちが弁当を広げてのんびり過ごしている姿も見えた。
 


 
(27)百間石垣への道

音楽堂の左手に百間石垣への道があった。
百間石垣は、土塁周回ルートの最北端にあたる場所だ。

途中、何人かの登山者とすれ違いながら挨拶を交わしていると、「あーら、また会いましたね」と声をかけられた。
振り向くと、最初に出会った、前歯の欠けたあの老人だった。
笑顔で別れたものの『近道でもあるのだろうか?・・』と不思議な気分になった。

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(28)クロガネ岩城門跡

クロガネ岩城門跡も、9つある城門跡のひとつだ。
江戸時代に描かれた『大宰府旧蹟全図北図』をもとに現地調査が行われ、門の礎石が発見されている。
その後の発掘調査では、門の両側に築かれた石積みが確認され、軒丸瓦(のきまるがわら)や土器も出土した。
軒丸瓦は7世紀後半から末ごろに遡るものだとされ、説明板を読むだけで、この場所が一気に古代へとつながっていくような気持ちになる。
 


 
(29)百間石垣

ここは、四王寺山でも屈指の見どころだ。
石垣がしっかり残っており、その規模の大きさには思わず息をのむ。
写真ではなかなか伝わらないと思うが、高さもあり奥行きも深く、城壁として見れば相当な威圧感がある。
下には車道も通っているので、いつかまた別の季節にも訪れてみたい場所だ。
宇美町の観光情報には、次のように紹介されている。
『百間石垣は、全長180mの大野城跡最大の石垣です。
内部まで石を積めた「総石垣」構造となっています。
石垣の一部では隙間があり、そこから水が流れていることから、これも水門の一部と考えられています。』



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(30)
(30)北石垣への道

百間石垣を下りると、『長谷〜四王寺線』の車道に出た。
その道を渡った先に、北石垣へ向かう登山道が続いていた。
 


 
(31)急斜面が続く

四王寺山でもここは一番の難所だった。
気楽に土塁を歩いて周回する・・そんな当初の構想は、完全に打ち砕かれた。
しかも、まだ予定の半分ほどしか進んでいない。
体力を温存しながら歩かねばと、気持ちを引き締める。

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(32)
 (32)ピークへ着いた

ピークには、この先の分岐を示す「北石垣・小石垣」の標識が立っていた。
その後、下って分岐点に出たものの、北石垣へ向かう道にはロープが張られていて進むことができなかった。
地図では北石垣がすぐ近くに見えたが、今回は諦めて、小石垣へ向かうことにした。
周回コース自体が小石垣方向だったので進路としては問題なかった。
 
 
 
 
 (33)小石垣への道

前方には、次の土塁の山が見えている。
ここからは大原山を頂点とする、戻りの周回コースに入っていく。
まずは一度、小石垣まで下っていくことになる。

あたりはのどかな春の景色が広がり、朝の冷え込みと比べればずいぶん暖かくなっているはずだ。
火照った体に吹き抜ける爽やかな風が心地よい。
さすがにウグイスの声はまだ聞こえてこない。
 


(33)
 
 
 
 
 


(34)
 (34)小石垣

下りていくと小さな川があり、橋が架かっていたが、「立ち入り禁止・迂回路」の標識が立っていた。
とはいえ、数歩先に迂回路があり、小川は石を伝って難なく渡ることができた。
前方を見渡すと、棚田のようにも見える景色が広がり、のどかな山里の雰囲気が漂っている。
そのまま道を進むと、奥の左手に小石垣が姿を現した。
 
 
 
 
(35)大原山

小石垣を左手に見ながら進むと、道は上り坂に変わった。
狭い道だったが、5人ほどの登山者グループが立ち止まって道を譲ってくれていた。
家族連れのようで、お礼を言って通り過ぎようとしたとき、最後尾にいた中年の女性が声をかけてきた。
「あのー、聞いてもいいですか?」
何を尋ねられるのだろうと思いながら、私は
「聞いてもらっても構いませんが、私、今日が初めての四王寺山なんですよ…」
と答えると、女性は「あら、そうなんですか」と少し照れたように笑い、気持ちよく道を譲ってくれた。

上り坂は次第に緩やかになり、木々が立ち並ぶ気持ちのよい道が続く。
途中に分岐もあったが、標識がしっかりしていたので迷うことなく大原山へ到着した。
ここには第18番札所があり、如意輪観音が祀られていた。



大原山
 
 
 
 
 


(36)
 (36)焼米ヶ原展望所

大原山から先は、ずっと穏やかな道が続いた。
ただ、分岐が多いせいか、スマホを手に立ち止まってルートを確認している登山者を何人も見かけた。
その光景を見て、昨年の春に東京を歩いたとき、あちこちでスマホ片手に道を探していた人々の姿を思い出し、思わず可笑しくなった。

やがて焼米ヶ原に着くと、駐車場もあって人の姿も多く、ちょっとした賑わいを見せていた。

ちなみに「焼米ヶ原(やきごめがはら)」という名前は、昔からこの一帯で炭化した米が見つかっていたことに由来するそうだ。
 
 
 
 
(37)岩屋城跡

岩屋山の山頂には山城が築かれており、かつて岩屋城の本丸が置かれていたと伝えられている。
ここからの眺望は素晴らしく、大宰府一帯はもちろん、遠く耳納連山まで見渡すことができる。
この城は、1586年、九州制覇を狙う島津軍4万に対し、城主・高橋紹運以下700余名が籠城し、家臣もろとも玉砕するまで戦い抜いたことで知られている。
山道を下り、道路を挟んでさらに進むと、当時の二の丸付近にあたる場所に高橋紹運の墓が静かに佇んでいる。
 



(37)
 
 
 
 
 


(38)
 (38)大宰府政庁跡

山道を下り、大宰府市民の森までたどり着いた。
ところが、あと一息というところで梅の花を撮っているうちに、うっかり別の山道へ入り込んでしまい、「安ノ浦池」へ出てしまった。
池はフェンスに囲まれており、その土手を歩いて出口を探し、最後は柵を乗り越えてようやく外へ出ることができた。
それでも、無事に大宰府政庁跡へ戻ることができ、四王寺山の山歩きを終了した。
 

 最後に
四王寺山は、以前から気になっていた山だった。
ただ、標高が低いこともあって「山」というより「丘」という印象が強く、なかなか登ろうという気持ちにはならなかった。
ところが、令和になってから大宰府近くに大伴旅人の邸宅跡があるという報道を目にし、急に興味が湧いてきた。
もともと一人で山歩きやウォーキングをするときには百人一首を黙読していたので、歌碑があるだけでも心が惹かれた。
さらに歳を重ねるにつれ、低山のほうが歩きやすくなってきたこともあり、今回ようやく登ってみることにした。
いにしえの文化に触れたいという思いがある一方で、当時は戦いが絶えず、文化を楽しめたのは貴族や一部の特権階級だけだったはずだ。
今のように戦乱もなく、食べるものの心配もなく、自由に文化を味わえることは、考えてみれば途方もなく幸せなことだと思う。
大宰府の魅力は、京都や奈良に決して引けを取らない。
だからこそ、こんな形でもその良さを発信していきたいと感じている。
そしてまた次の登山に向けて、体調を整えていきたい。
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