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2026年5月7日 (木曜日)
(行動時間:4時間50分)
【コース】
高良大社駐車場 (7:10) ~ 二の鳥居 (7:30) ~ 高良山本坊跡 (7:55) ~ 高良大社 (8:25) ~ 奥宮(9:25) ~ 高良山山頂 (9:40) ~ 月見山 (10:05) ~ 菖蒲池 (10:20) ~ 久留米森林つつじ公園 (10:35) ~ 高良大社 (11:15) ~ 琴平宮 ・吉見岳(11:30) ~ 吉見岳 の丘(11:35) ~ 高良大社駐車場 (12:00)
 

 
 
(1)高良大社一の鳥居

筑後川を渡り、久留米インター下の国道を少し走ると、右手に高良大社のやぐらのような大きな看板が見えてきた。
その交差点を左折すると、高良大社の入口となる『一の鳥居』が姿を現した。
左手には観光案内図があったので、車を停めてしばらく眺めた。 実のところ、高良山には見所が多すぎて、どこを歩くべきかまだ決めかねていたのだ。

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(2)高良大社駐車場

駐車場は事前に調べていたので、迷うことなく到着することができた。しかし、 一度車を停めて歩き始めたものの、もう一つ上の駐車場の方が人目につきやすく安心だと思い、停め直すことにした。
先月、新車に交換したばかりなので、いつも以上に駐車を気にしていたからだ。
 
 
(3)御手洗池(みたらしいけ)

歩き始めてすぐ、池が見えてきた。
近づくと、水面に写った木々の緑と錦鯉が作る波紋が重なって、美しい模様を作っていた。
池の片隅に立っている案内板には、昔この池は蛍の名所で、高良山十景の一つ『御手洗の蛍』と呼ばれていたそうだ。
当時は明かりも少なく真っ暗で、この池の上を飛び交う無数の蛍の姿が想像できた。

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(4)御手洗橋から

橋の上から反対側の池をのぞくと、一面が緑の浮草で覆われていた。時おり鯉が水音を立てて姿を表した。
中央には、群生のような菖蒲の花が、鮮やかに咲いていた。
橋を渡ると、この橋の案内板が立っていた。
この石橋は、もとは谷あいに架けられた土の橋だったものを、1803年に整備して造り替えたものだという。欄干に据えられた擬宝珠(ぎぼうし)も、当時の藩の御用鋳物師による作だそうだ。
 
 
(5)高樹神社(たかぎじんじゃ)

橋を渡った先に社が見えた。近づくと、『高樹神社』と書かれた鳥居が立っていた。 上へ上がって参拝を済ませ、先へ進むと案内板があり、説明書きを読んでみた。
この神社の石造狛犬は筑後で最も古く、1724年に奉納されたものだという。「よく見とけばよかった~」と思ったが、先が長いので戻らず歩いた。
それよりも、説明書きにあった理不尽な話のほうが印象に残った。高樹神社の神様は、もともと高良山の地主神だったのだが、高良神(こうらのかみ)に一夜の宿を貸したところ、そのまま居つかれてしまい、この地に鎮座することになったというのだ。
なんとも気の毒な話である。

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(6)高良大社二の鳥居

今日の登山ルートはなかなか決めきれなかったが、ここへ来る間に大筋が固まった。
まず、「二の鳥居」から歩き始め、「高良大社」へ向かい、そのまま「高良山山頂」、「月見山」へと進み、帰りに「吉見岳」に寄るという、ざっくりした道順である。
この山は、見どころが多すぎて、あれこれ欲張ると収拾がつかなくなりそうだ。だから、決めた道順を登りながら案内板を頼りにひとつひとつの景色を味わいながら進もうと思う。
 
 
(7)参道

鳥居をくぐり、参道を歩き始めてすぐに、道の凄さに驚いた。石の形といい、大きさといい、そして不揃いながら歩きやすく敷かれた石段の数に、思わず感心させられた。
古風な言い方をすれば、いにしえの空気がまだ残っているような、重厚な気配を感じた。

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(8)神籠石(こうごいし)説明書き

初めて『神籠石』と聞いて、水晶や石英といった石の種類かと思ったが、説明書きを読むと、人工の石列だと知り、「たいそうな名前を付けたもんだ」と意外に思った。さらに説明書きを読むと、高良山では1300個もの巨石が神域を取り囲むように並べられているという。なるほど、それで神籠石と名付けたのかと合点がいった。
それにしても、参道の石段にも驚いたが、巨石で神域を取り囲む労力はいったいどれほどのものだったのか、想像もつかない。
 
 
(9)馬蹄石(ばていせき)

少し歩くと、馬蹄石という史跡があった。
説明書きによると、馬蹄石とは、高良神(こうらのかみ)さまが御鎮座の際、神馬(しんめ)の蹄(ひずめ)の跡を残したと伝わる石で”馬の足形”と呼ばれているそうだ。
読みながら、高良神様は、高樹神社の地主神から土地を奪い取った神様だと考えると、なんとも複雑な気持ちになる。 とはいえ、神話というものは得てしてそういうものでもあり、信仰心が揺らぐほどの話でもないのだが。

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(10)不老長寿のマキの木

参道を歩いていくと、何やら気になる看板が目に留まった。赤い文字で『不老長寿のまきノ木』と書かれている。この不老長寿という言葉が妙に気を引いた。
看板が指す脇道へ入っていくと、そこにも案内板があった。
手を取り合うように寄り添う「夫婦榊(めおとさかき)」と、二つの幹が一つにつながる「愛のさざんか」、そしてここは「愛のパワースポット」と呼ばれていると書かれていた。
奥に進むと槙ノ木の前にも説明書きがあり、『一音院跡の巨木、樹齢400年の槙ノ木』と記されていた。写真では、正面が槙ノ木、右側に夫婦榊、そして愛のさざんかは槙ノ木の後ろ側にある。
 
 
(11)アジサイ園

槙ノ木を見た後、元来た道へ戻り、左に曲がらず直進して竹の柵に沿って歩いていくと、あじさい園にでた。というより、歩いているうちに、柵の内側のあちこちにアジサイの木が見え始める。残念なことに、この時期はまだ花が咲いていなかった。
さらに進むと、アジサイの看板があり『平成11年から御井町(みいまち)の住民が植え始めた4千株の花が咲き誇ります』と書かれていた。これは今年、ぜひ来なければならないという思いが湧き上がった。

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(12)高良山本坊跡

参道を登ると、車道から入って来た道と交わり、左に進むと立派な門があった。門の石段を上り、くぐり戸を通って右手の階段を上がると、広場に出た。
「本坊」と聞いて、私は勝手に修験者たちの修行道場のような場所を思い浮かべていたが、案内板によれば、本坊とは、住職が暮らす場所のことだと知った。
さらに案内板によると、ここは、1675年の水害で壊滅寸前となり、久留米藩主が一万人の人夫を動員して整備・拡張を行ったこと、そして明治二年の神仏分離令によって廃寺となったことが記されていた。
 
 
(13)本坊跡地

本坊跡地の広場は思いのほか広く、手前には最近のものと思われる竹で作られたトイレが作られている。そして奥には一軒の家が建っていた。中央には、花を付けたつつじと背の高いモミジが寄り添うように立ち、『愛のパワースポット』のようにいい感じで庭を飾っていた。
当時の庭は『日暮しの庭(ひぐらしのにわ)』と呼ばれる林泉回遊式の名園だったそうだが、廃寺となった後、ここは久留米藩知事が住居として暮らし、「高良山御殿」と呼ばれていたらしい。その後は高良神社の社務所が置かれ、さらに高良神社宮司の官舎として長く使われてきた場所でもあるそうだ。

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(14)中谷の紅葉谷

本坊跡地の門を出ると、新緑のモミジが参道を彩っていた。 ここにも案内板があり、「中谷は高良山の中腹に位置し、秋になると山全体が紅葉して美しく、特に霜に染まって赤くなった楓の美しさは格別である」と記されている。
さらに、先へ進むと『紅葉植樹一千本記念碑』と書かれた石碑が立っていた。
 
 
(15)御霊社跡(みたましゃあと)

「御霊」と書かれた看板が目に入り、何やら霊にまつわる場所かと興味本位に読んでみた。
要約すると、
『久留米藩主・有馬忠頼が、三代将軍・徳川家光の位牌を祀る御霊社を建て、百石を寄進した。ここがその跡地であり、御仏殿・御宝蔵・御手洗舎・唐門などが建てられ、毎月二十日には高良山内の全宗徒が勤行を行っていた。しかし、明治二年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により取り壊された』と記されていた。
霊とは全く関係なく、由緒ある史跡だったことを知り、不謹慎だったと反省した。

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(16)車道との交差

高良山には車道があり、駐車場もよく整備されていて快適なドライブコースとなっている。
横断歩道を渡ると、左手に「明静院(みょうじょういん)跡」と書かれた案内板が立っていた。明静院は本坊に次ぐ有力な寺院で、廃仏毀釈によって解体されたものの、高良山中で唯一現存する寺院建造物が残っているという。
案内板には、その場所が車道を上り、ヘアピンカーブに差しかかる手前付近にあると記されていたが、車道を歩くことになるため、そちらへは向かわず参道を進むことにした。
 
 
(17)参道

高度が上がるにつれ光が差し込み、木々の緑もひときわ輝いて見える。
参道の両脇には石灯籠が並び、一段と神聖さを帯びて来る。
次はどんな史跡が現れるのかとワクワクしながら登っていく。
好奇心は年齢とは無関係だと実感する。

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(18)鏡山神社

少し登ると、参道の途中、右手に「鏡山神社」と書かれた鳥居が現れた。 中へ入ると、社は左手に建っていた。
鏡山神社の御祭神は、高良大社の御本尊である高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)の分霊とされている。
もとは麓に祀られていたが、九州自動車道の建設に伴い、現在の場所へ遷座されたという。 また、鏡山神社に祀られていた鏡は、高良大社宝物館に収められている。
 
 
(19)鏡山神社の境内

鏡山神社に入り、社の前に立って頭を下げたとき、ふと壊れた石板が目に入った。
よく見ると、その石板の下から、所せましと竹の子が顔をのぞかせていた。
なんとも罰当たりな竹の子だと可笑しくなり、今日初めての面白い場面を楽しみながら鏡山神社を後にした。

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(20)孟宗金明竹林(もうそうきんめいちくりん)の案内板

鏡山神社を出て真っすぐ登ったところに『孟宗金明竹林』と書かれた案内板があった。
内容は『金明竹とは緑と淡い黄色が竹の節間に交互に現れた竹で全国にあるが、孟宗竹は全国に4ヶ所しかなく、国の天然記念物に指定されている』となっていた。
 
 
(21)孟宗金明竹林

竹林の景観は昔から風流で好きだ。
それだけに、天然記念物に指定されている高良山の孟宗金明竹林がどんなものなのか、訪れる前から楽しみだった。
実際に目にすると、なるほど小さいころに見た田舎の竹林とは違い、濃い緑の節がはっきりと浮かび上がっている。
庭の岩や池などの背景になれば、鮮やかな竹の色がいっそう景色を引き立てることだろう。
実物が見れて満足だった。

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(22)下向坂

竹林を抜けると、『高良玉垂宮』と書かれた鳥居が現れ、その前方には駐車場もあった。
ついに高良大社の入口までたどり着いたのだと思い、鳥居へ向かったが、前を歩いていた高齢の男性は駐車場の方へと進んで行った。ウォーキングだけで参拝はしないのかと一人納得し参道を登った。階段は思ったよりも長かった。 後で知るのだが、本殿へはここからも行けるものの、ここは正面の鳥居ではなかったのだ。
 
 
(23)下向坂上段

この階段を登った先にどんな光景が広がっているのか?、と思うこの瞬間がいちばん好きだ。
階段を登っていくと、まず目に入ったのが、横長の大理石だった。そこには「御神幸の図」と題された祭事の様子が、明治・大正と時代ごとに描き分けられていた。色鮮やかな長い行列の図は、当時の祭りの盛大さを一目で感じさせるものだった。

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(24)境内

広い!そして先へ進むほどに、境内の空気に包まれるような迫力を感じる。
なかでも目を引いたのは、御神木とされる二本の楠だ。
どちらも柵で囲まれ、堂々と立っていた。
案内板には、樹齢約四百年とあり、一号木は樹高23.5メートル・周囲9メートル、二号木は樹高23.5メートル・周囲4.7メートルと記されていた。
写真を撮っていると、先ほど鳥居の前を通り過ぎていった高齢の男性が、また目の前を歩いていった。
その姿を見て、ようやく悟った。正面の鳥居は別にあったのだと。
「初めて来た神社なのに、そちらから登りたかった」と、今にして悔しさがこみ上げた。
 
 
(25)高良大社本殿

立派な本殿の前に立つと、まずは写真を撮った。 しかし後になって、「神社では先にお参りをするべきだった」と気づき、自分の信仰心の薄さを少し恥じた。
正面に立ち、お参りをしようとしたものの、さらに奥にもう一段進める場所がある。 入ってよいものか迷い、とりあえず手前でお参りを済ませた。
その後、境内を見て回っていると、参拝者が現れ、奥の正殿へと入って行った。 それを見て私も中へ入り、もう一度お参りをした。
そして、今度は正殿の中から写真を撮った。

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(26)本殿より久留米市内を望む

中から神様の目線で眺めてみた。
穏やかな景色を見て、久留米の町はこうして神様に見守られているからこそ平和で豊なのか、と素直に思った。
が、ふと我に返り「あまり長くいると罰が当たるかもしれない」と思い、急いで拝殿を出た。
 
 
(27)展望所

「展望所はここだ!」と言わんばかりに、大きな文字が遠くからでも目に入る展望所へ向かった。
着いてみると、周囲の山々や地域名が記された写真が掲示されており、実際の景色と照らし合わせながら場所を確認した。
眺望は申し分ないのだが、遠くが少し霞んで見えた。 それでも、初夏の景色を楽しむにはこれ以上ない行楽日和だと、気持ちを切り替えた。

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(28)スロープカー

最初、遠くから見たときはロープウェイかと思った。 だが近づいてみると、それはスロープカーだった。
下の鳥居からここまでの道のりは、確かに急で長い。 だからこそスロープカーが設けられているのだろうが、これほどやさしい設備を見るのは初めてだ。
下には駐車場もあり、体の不自由な人や高齢の方でも無理なく参拝できるようになっている。
そうした配慮を見るにつけ、この神社には多くの参拝者が訪れるのだろうと想像できた。
 
 
(29)三の鳥居、本坂

これが正面の鳥居だ。
「ここから登りたかったのに・・」とまた残念な気持ちがよみがえった。
パンフレットによると、階段は131段あると書かれていた。そして、古くはこの石段より南にある「下向坂」が本参道であったかと思われる、とも記してあった。「おお!、ということは、私が通った下向坂の鳥居こそ、当時の正門だったのかもしれない」 そう思うと、気持ちも晴れ、足取り軽くこの場を離れた。

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(30)奥宮への道

本殿を出て、持ってきた地図を見ながら奥宮へ向かって歩き始めたが、すぐ車道から一本の歩道が分かれているのが目に入った。ちょうどその道を上ってきた男性がいたので尋ねてみると、「車道からも行けるけど、本殿の裏にある道のほうが尾根沿いで近いですよ」と教えてくれた。お礼を言って別れようとしたところ、その男性も本殿へ向かうところだったらしく、一緒に歩きながらしばらく言葉を交わした。男性は近くの山川という場所に住んでいて、ここへは毎日来ているという。私は“なでしこ”の紹介をしたり、アジサイ園の様子を聞いたりしながら歩き、本殿の境内で別れた。
 
     
(31)奥宮(おくみや)への鳥居

 本殿から続く道は坂もなく、爽やかな風が吹き抜けて涼しく、とても歩きやすかった。途中、前方からきた男性と軽く挨拶を交わし、そのまま別れた。
やがて道は、車道側から奥宮へ向かう道に突き当たった。表示板に従って右へ折れると、少し進んだ先に写真のような鳥居が立っていた。
鳥居があるだけで、周囲の空気が不思議と神聖に感じられる。
 
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 (32)奥宮(奥の院)

奥宮は、質素でつつましやかな社だった。 しかし案内板によれば、その歴史は古く、678年に高良山を開いた隆慶上人(りゅうけいしょうにん)がここに毘沙門堂を建て、法力で招き寄せたのが奥宮の清水であると伝えられている。
そのため、この場所は霊泉が湧く聖地とされ、現在も「寅の日」をはじめ、多くの参拝者が絶えないそうだ。
霊泉は鳥居をくぐった先の左手にあり、山から突き出た筒から、こんこんと流れ出ていた。
 
     
(33) 車道からの奥宮鳥居

道を戻ってまっすぐ進むと、やがて車道へと通じる場所に出た。 鳥居の先にある看板を見つめていたのは、熊本から来たという eguti さんだ。
奥宮までの所要時間を尋ねられたので答え、“なでしこ”の紹介をして別れようとしたところ、名前を尋ねられた。山での出会いは、いつも一期一会だと思っているので、名前を聞かれて意外だった。でも今回は、おかげで名前だけでも載せることが出来た。
ほんの短いやり取りでも、心に残ることが多いのは事実だ。
 
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 (34)久留米つつじ公園

つつじ公園はとても広く、このあたり一帯がすべて公園と言っていいほどだ。もう少し早く来ていれば満開の花が見られたのだろうが、ゴールデンウイークは避けたかったので仕方がない。次回は、ゴールデンウイーク前に訪れるという手もありそうだ。
ここには、餅のような形の石に刻まれた、漱石の歌碑が横たわっていた。
『菜の花の 遥かに黄なり 筑後川 /漱石』
 
     
 (35)高良山への道

道を進んでいくと、階段が見えた。近づくと階段はずっと下まで伸びていた。その下には広い駐車場や売店があり、道路を挟んだ先にも広い駐車場が見えた。
(後で戻る際に立ち寄る駐車場でもあった。)
私は木の階段に入り真っすぐ登って行った。
 
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 (36)山頂目前

整備された道には、至るところに案内板が立っていた。高良山の道は四方に分かれている所が多いので本当に助かる。
頂上はもう目と鼻の先だ。
あちこち歩き回ったはずなのに、疲れは全くない。きっと、好奇心が勝っているおかげだと思う。
 
     
(37)高良山山頂

 今日最大の目的地、高良山山頂に着いた。
史跡巡りが多くて高良山登山の本題が薄れそうで心配でもあった。
ここには、木彫りの山頂標識が立っていて、『高良山山頂標高三一二m』と彫られていた。
ここからの眺望はよく、ベンチも置かれていた。
次は月見山に向かう。
 
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 (38)車道側道

高良山山頂から下りてきてこの道に出る途中、ちょっと迷ったが、少し歩くと案内板が現れ、ここへ出ることが出来た。
歩道は広く、前から人が来ても難なく離合できた。この歩道の右手は、小さな谷になっているようだ。
(戻りに、菖蒲池から登ってここに出た。)
 
     
 (39)つつじ公園入口

こちらにもつつじ公園があった。
月見山はこの奥だ。月見山に何を見に行くのかと問われれば答えようもないが、ただ「月見山」というなんとも可愛い名前の山を見てみたいだけである。だいたいそれくらいの好奇心でこれまで登山を続けてきたような気がする。
左手には、『耳納連山縦走コース』という標識が立っていた。左側から入って尾根を浮羽方面へ進んでいく道だ。興味ある道だが、身の程をわきまえろという自分がいる。
 
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 (40)月見山

おう!やっぱり可愛いではないか。
ここから月はあまり見えそうもないので、誰が言うともなくお月さんのような山ということになったのではないだろうか。
来てみてよかった。どこか安心した。
何が?、と思うかもしれないが――たぶん、ささやかではあるが達成感だと思う。
次は、来る途中看板を見た『菖蒲池』に向かう。
 
     
(41)菖蒲池

 菖蒲池には水がなく、黄色い花がわずかに見えた。 時期が早いのだから仕方がない。左手には広いスペースがあり、ベンチも据え付けられていた。きっと見頃の季節になれば、ここ一面に満開の菖蒲が広がるのだろう。
今日は出発前、既に御手洗池で美しい菖蒲を見てきたではないか!それでよしとしよう。
次は、戻り道だ。
最後に駐車場近くの吉見岳を見て帰るつもりだ。
 
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 (42)久留米森林つつじ公園駐車場

来る途中、谷のように見えた場所を登っていくと車道に出た。 そのまま車道を歩いていくと、高良山の山頂から見えていた広い駐車場にたどり着いた。
ここからの眺望は実に素晴らしかった。 駐車場の中を歩いていくと、出口のところに下へ降りる遊歩道が続いていた。
 
     
(42)遊歩道

道は林の中を通っているので日差しが少なく、ひんやりとして涼しかった。
木々にはところどころ、名前と花期が書かれた札が掛けられている。「ハゼノキ・タブノキ・モッコク・クスノキ・サルナシ・ボロボロノキ・ナナミノキ…」と、札を読みながら歩くのもなかなか楽しい。
やがて、「王子宮」と「吉見岳」への分岐点に出た。 ただ、王子宮方面は崖崩れのため通行禁止になっている。
私は吉見岳方面へ、そのまま真っすぐ進んだ。
 
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 (43)さらに遊歩道への道

一度、道は車道へと出た。 そこは高良大社のすぐ下で、奥宮へ向かう際に男性に道を尋ねた場所だった。
せっかく高良大社まで戻ってきたので、もう一度本殿に上がり、心残りのないように写真を撮った。
次に歩く道は、高良大社から下りて横断歩道を渡った向かいにある道だ。
 
     
 (44)遊歩道

竹林の美しい道を下っていく。ところどころに「私有地につき竹の子採り禁止」と書かれた看板が立っていた。 途中にはいくつか史跡もあり、立ち寄ったが、ここでは割愛する。
道はずっと下りで、時折、吉見岳方面を示す案内板が現れる。 方向は間違っていないと思いながらも、看板が現れるとやはり安心だ。
 
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 (45)琴平宮・吉見岳

道を下っていくと、「吉見城址」と書かれた矢印形の板が現れた。距離は短いものの、裏山に登るような急な坂道だった。
登りきると神社の裏手に出た。
「なんだ、裏か!」と思ったが、そこには石の玉垣が巡らされていた。
中には「五十六世座主」と読める石碑がおさまっていて、神社の格式の高さが感じられた。
鳥居を抜けると広場があり、吉見岳城の案内板があった。さらに奥の木には『吉見岳』と書いた竹づくりの表示板が付けられていた。
ここは吉見岳の山頂で、吉見岳城跡のエリアでもあった。
神社の表側には、立派な階段が延びていた。
 
     
 (46)吉見岳城跡

階段を下りて道を進むと、前方に開けた丘が見えてきた。さらに歩くと、見晴らしのよい広場に出た。
そこにも吉見岳城の案内板が立っていた。
案内板によれば、吉見岳城は1533年に築かれ、標高157メートルの展望に優れた場所に位置している。筑前から肥後、肥前から豊後へ抜ける軍事上の要衝であり、九州征伐の際には豊臣秀吉もここに陣を構えたという。
「なるほど、ここからなら敵の動きが一望できる」と、兵士になったつもりで周囲を見渡した。
もちろん私は平和主義者である。
 
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 最後に
今回の登山は、どちらかといえば史跡巡りの色合いが濃かったが、もともと歴史には興味があったので、それはそれで楽しみでもあった。はじめ、高良山までは 距離が短いため、登山らしい達成感が得られないのではと心配していたものの、思いのほか歩き回ることができ、結果として満足している。
高良山は耳納連山の西端に位置する山で、以前、眺めが良いと聞いて車で訪れたことがある。しかし、そのときの記憶といえば「景色が良かった」という印象だけで、土地の雰囲気までは感じ取れていなかった。 やはり、こうして自分の足で歩いてこそ、その土地の魅力が見えてくるものだと、あらためて感じた。
嬉しいことに、まだまだ知らない山がたくさんある。これからも体力をつけながら、新しい山との出会いを楽しみにしていきたい。
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